金沢中央走ろう会/走快あらかると

天野さんを讃える
西川 實 さん
いつも夫婦で仲良くランニング
【プロフィール】
生年:1935年
走暦:入会1988年6月
 ※奥様は1989年入会
 いつも夫婦で仲良くランニング
【ランニングクラブ役職経歴】
・金沢中央走ろう会 役員
・石川県高齢者ジョギングクラブ 役員
・石川県走ろう会連絡協議会 役員
・石川県シニアジョギングクラブ 会長

マラソン人生での出会いふれあい『天野さんを讃える』 西川 實
 人生のうちで出会いと呼べるものが何回あるだろうか。あの日、あの時、あの人、この世に偶然はないという。何かの糸に引き寄せられたそれが出会い。
 金沢中央走ろう会の創設者である天野耕兵衛代表との出会いは、1946年材木小学校5年の時でした。復員された直後で、軍服姿の体操の先生でした。兼六中学校へ入学すると、異動で天野さんがおいでになり、陸上部の顧問になられました。私もすぐに入部し走り巾とびの指導を受けました。それから37年の月日が過ぎて、52才の時に金沢中央走ろう会へ入会しました。再び、天野さんから教えを頂くことになり、不思議なご縁を感じております。
 天野さんは、ランナーはただ速く走ることを目指してはならない。健康のためのランニングに徹していかなければならない。「ゆっくり楽しく走ろう」といわれました。
 天野さんには、数々の思い出があります。1991年10月12日〜17日に開催された石川国体。開会式の当日、旧県庁舎前をスタートし西部緑地公園陸上競技場迄の聖火リレーの第一区は、天野さんをチーフとした10名位で編成。その中に、私と故和田正さんとレディスジョギングクラブのY・Aさんも一緒に走りました。
 2005年11月12日〜15日開催された「ねんりんピック福岡2005」。天野さんの引率で、私と家内、岩室伸一さん、N・Tさん、T・Kさん、N・Kさんが参加しました。マラソン競技は、田川市(炭鉱節発祥の地)で行われ、ゲストランナーは、エスビー食品監督の瀬古利彦氏でした。競技のあと熊本市内で宿泊。ここにも天野さんの兼六中学校の教え子がおられ、翌日の阿蘇山北岳観光を車で案内して頂く幸運もありました。別府温泉でもう一泊し、翌日午前7時の阪九フェリーで神戸港へ、列車を乗り継ぎ無事帰宅しました。
 天野さんは、ねんりんピック第2回大会(1989年)から続けてこられた引率の務めを今回で終えられ、翌年の静岡大会は、私が引率を努めました。又、ねんりんピック福岡に行った仲間とは、共通の趣味のボウリングで、月1回の交流を続けて9年になります。
 1998年7月25日の金沢中央走ろう会の健康体力づくり講座。当時積水化学の小出義雄監督が、「シドニーオリンピックを目指して苦労とよろこび」と題して、講師としてきてくださいました。天野さんの兼六中学校の教え子のO・Kさんが、小出監督の妹さんと結婚されており、今回のような夢の機会が実現したのです。当日の朝、天野さんと小松空港へ迎えに行き、講座の前に会場のラポルト兼六のレストランで、昼食を一緒に頂きました。この折、小出監督に、シューズはどこのメーカが良いでしょうかと尋ねますと、アシックスは世界一だよといわれました。
 講演後、天野さんは会報『走快』の中で、次のように書かれています。世界のトップを行く選手を育てられた力量には非凡なものがある。人間を見抜く力と科学的な指導に加え、人間味あふれた接し方。シドニーオリンピックにかける私達の期待に、必ず応えて下さると確信をもたせて頂きました。
 2000年シドニーオリンピック。高橋尚子さんが女子マラソンで日本人初の金メダルを獲得され、国民栄誉賞に輝きました。
 2000年12月16日、天野さんは第13回ランナーズ賞を受賞されました。ランニングの普及発展に貢献され、その素晴らしさを多くの人に伝え、自から実践されたその努力と熱意を称えたものです。
 出会いがあれば別れがあります。天野さんの口癖は、健康づくりのためのスポーツは、いきいきと長生きして、充実した人生だったといえるものでありたい。100才を目指して、実践しておられましたが、2011年8月15日に90才で亡くなられました。
 私達や多くのランナーに、ランニングの楽しさや、健康で長生きのための指導を、生涯をかけてして頂きましたことを有難く、心よりお礼申し上げます。肉体は亡びても、魂は永遠に生きるといわれております、天国でのご活躍を心よりご祈念申し上げます。
ねんりんピック2005=福岡
機関誌『走快』28号掲載

例会出席表彰=31年間で1100回。

 私のマラソン写真集の原点は、ホノルルマラソン2003です。初マラソンの記念にとフィルムカメラを使いました。楽しさと撮りたいシーンの多さに、撮影枚数の制限に消化不良を痛感。楽しいマラソン記録写真集を制作したいと思います。マラソンに挑戦する会2003、加賀健勝マラソン2003とマラソン経験を積みます。デジタルカメラを購入し、ホノルル2004で激写を楽しみました。
 年明けの初詣ランニングを撮影ラン。2005年4月の加賀健勝マラソンはマラソン5回目、マラソン撮影ランは3回目です。沿道の応援を背景にランナーを組み込みます。右端は、ホノルルマラソンを一緒に走ったMさん。その左が西川さんです。

【編集長メモ】
 私は2003年12月末、ホノルルマラソン2003完走を機に入会しました。紹介挨拶の後、最初に声をかけてくださったのが西川さんです。私とちょうど10歳の年上。長年、会の役員をされており、いろいろ教えていただきました。早速、スキーやマラソン大会も一緒に楽しむようになりました。
 家族会員で、いつも奥様と一緒に笑顔で走られているのが素敵です。
 2004年4月、WEBサイト編集長として当会のWEBサイトを開設。2004年9月フィルムカメラからデジタルカメラに切り替え、大会や行事の記録を掲載しています。
 加賀健勝マラソン2004は2回目のマラソン、フェーン現象で30℃を越す炎天下の大会でした。30km過ぎで脚にケイレン。ここで西川さんと励まし合いながら歩きを交えて進みます。私は何とか制限時間の5時間以内でフィニッシュできましたが、西川さんはタイムオーバー。私は59歳、西川さんは69歳。私もその年まで、厳しい状況で走れるのだろうか。右の写真は、加賀健勝マラソン2005。西川さんは元気に参加です。健康ランの模範です。先輩の後ろをいつまで追いかけれるでしょうか。
記事=2019/10
走快あらかると

Copyright 2004-2019 kanazawa-runners.com